私的な温泉旅のページ

草津温泉

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湯畑界隈

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群馬県 吾妻郡 草津町 大字 草津

●草津温泉 湯畑界隈
 自分が物心ついて初めて行ったのが「草津温泉」で、温泉を具体的に認識したのもこの場所であった。
人は生まれてかしばらくの期間、入浴は一人では出来ない、誰かの手で、洗って貰い湯船に入れて貰うのだが、その頃の記憶は忘却の彼方に去り入浴の記憶は、母に連れられて行った近所の「銭湯」である。
今でもその銭湯は健在で、最近数回目の改修を終えリニューアルオープンした。
当時、家は借家で浴室は無かったが、母の実家には「五右衛門風呂」が有り、火と薪の扱い方はここで覚えた。
そしてついに我が家に家風呂が出来た、小学校中学年の頃だったと思うが、借家の庭の隅に湯小屋を建てて、多分ポリのバスタブに、ガスのバランス釜であった。
 話を草津に戻すが、幼少期に五感を通して温泉を理解するには最適な場所ではなかろうか。「食育」と言う言葉があるように「温泉育」と言う言葉があってもよいと思うのだ。
雄大な大自然の力の象徴として白根山や鬼押出しを体験した後、大地の恵みとして「草津温泉」を体験する、群馬のこの地には教材は全て揃っているのだ。
流れる川がお湯?!。湯畑?!。湯もみ?!。何れもが新鮮で、温泉文化恐るべし!と子供心にしっかりと刻まれた事は確かで、先ずは親に感謝するべきであろう。
そして初めて体験した湯宿は「山本館」であったが、名前の記憶は無く、玄関を出た時に見える景色はコンクリートの建物、左側には「湯畑」がすぐそば、右側のみちを進み、お湯の流れる川沿いを登って行くと辿り着いた場所は「西の河原」。
その記憶が再認識されてのは自動車免許を取った年に車で行った草津であったが、父が予約したそこは山本館であった。多分お気に入りだったのであろうか、自分にとって二度目の宿泊なので旅館の印象は記憶に残った。
実はこの数年前に家族や親戚と共に鉄筋コンクリート造の某ホテルに泊まっているのだが、何故かその時の記憶や印象が不明瞭で、宿の屋号も思い出せない。
草津には温泉目的以外で何度か訪れてはいるが、湯畑界隈へ訪れたのが2014年、四度目である。
この時は日帰りで、湯畑周辺美化プロジェクトの途中経過を見るのが目的、竣工してまもない共同浴場「御座之湯」にはゆったり浸かることができたし、「白旗の湯」も堪能した。手元にある写真はその時の物だが、黒岩町長のプロジェクトも2017年には「熱乃湯」の再建工事も竣工し一段落している。

山本館本店

初めて泊まった温泉旅館

★「山本館」温泉旅館デビュー の宿
 幼少の頃、初めて温泉旅館に宿泊したのは1966年、草津温泉「山本館」であった。この頃の記憶は曖昧であったが、1982年に再び宿泊した事で記憶が補完された。
望楼付き木造三階建、大正時代の建築だと聞いたが、常に手入れが施されている様で、16年ぶりの宿泊であったが、居心地の良い和室であったことを覚えている。
時は流れ2014年に湯畑界隈へ訪れた時も変わらぬ姿で凛としてそこに建っており、老舗旅館の底力を感じた。
 温泉デビューの頃の浴室の印象は、普段通う銭湯より狭いとか、お湯に匂いのあるとか、その程度の認識であったと思う。
宿の方に、ここのお湯は「白旗源泉」であることは後に聞いたが。
まあ幼少期の当時は旅館内や湯畑界隈の探検に興味が集中していたのだろう、散策三昧であった。その代わり二度目の宿泊の時に宿周辺の景色や匂いなどで当時を思い出したし、浴室が地下にあったことも無意識下の記憶に残っていた。
ネットもデジカメも無い時代、ましてや日記は書かないし宿や浴室の写真は撮らないのが当たり前で、料理についてもお品書きは無かったと思うし、当時の料理の内容は分からないが品目数も多く豪華であったろう、しかし子供が喜ぶメニューではなかったと思う。
(今は大好物なのだが)
幼少期の思い出を振り返りつつ山本館の印象を改めてまとめさせてもらうと。
湯宿は「湯+衣食+休」が具現化した物、草津の地で生まれ湯守と旅人が育んだそれは華美でなく慎ましさと質実剛健さを内包する。そんな山本館は自分にとって湯宿と向き合う「THE ORIGIN」の場所で在る。