私的な温泉旅のページ

法師温泉「長寿館」

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群馬県利根郡みなかみ町永井


 群馬から新潟へ抜ける国道17号線を三国峠を目指して進む。赤谷湖・猿ヶ京温泉を過ぎ、山間に差し掛かるころ左側にガソリンスタンドが見えてくる、その直ぐ先に法師温泉の看板が有るので国道と別れ(県道261)に入り5キロ程の距離にある。「長寿館」は法師川沿いの山間の道の行止まりに静かに佇んでいた。

 この湯宿はメディアへの露出度も高く、古くは「国鉄時代のフルムーン」の宣伝に取り上げられその頃から全国に知られるようになり、また多くの雑誌の紙面を飾っているが、近年では映画「テルマエロマエ」にも登場し、ファンは多いと思われる。

 谷合に建つこの長寿館は、一軒宿であるが新旧八棟の建物からなり、まず初めに目に入るのは朱色のレトロな郵便ポストと”御入浴客御指定宿”と書かれた看板が掲げられ、間口の広い玄関を有する建物が本館となる。
本館は明治8年に建てられ長寿館で一番古い建物だ。(本館南側には厨房と食事処が防火区画を経て建てられている)
他の建物を年代順に辿ると、本館の北隣に建つ浴棟「法師乃湯」は明治28年に建てられ、また本館の西側を流れる法師川があり、その対岸には昭和15年築の「別館」が建つ。
これら三棟の建物は国登録の有形文化財である。
次に別館の南側に隣接する昭和53年築の「薫山荘」。
また本館二階から空中廊下で東側へ渡ると平成元年築の「法隆殿」が山の斜面に建てられ、この建物は広い区画の客室が主で、ベッドを備えた客室もあり海外の国賓も宿泊している。
そして、法師乃湯の北側に建てられた浴棟で、内風呂と露天風呂を備える中浴場「玉城乃湯」が平成12年に造られたが、実は本館と法師乃湯の間で法師川の護岸の際に「長寿乃湯」という女性用の小浴場があるのだが、幾度かの建替や改修を経て、近年「玉城の湯」が完成前後に大規模改修が施されている。

三つの浴棟

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 長寿館には三棟の独立した浴場があり、(有形文化財)の大浴場「法師乃湯」、中浴場「玉城乃湯」、小浴場「長寿乃湯」、此れらは大きさも違うし造られた時代も違うが、この宿の歴史そのものだ。
開業当初、大浴場が出来る前は本館と川沿いに小さな湯小屋が推測だが一棟ないしは二棟で営んでいたと思われる。
明治28年に大浴場が完成したのちは、当初からあった小浴場を女性専用浴場としたと思われるが、文化財指定されていないので当初からあった建物ではなく、戦後に脱衣室のある現代的な浴場に建て替えられたのか、新しく建てられた建物だ。
そして平成12 年に中浴場「玉城乃湯」が造られた事で、現在では宿泊すれば大中小、三箇所の浴場を全て巡る事ができるようにシフトが組まれている。
 次に湯と湯船についてだが、泉質はカルシウム・ナトリウム硫酸塩泉、その湯は数十年を掛けて地上に湧き出てくるのだが特長的なのが湯船の底に玉石が敷かれ、その間から”足下自噴泉”として湯が直接湧き出ていることに尽きるだろう。
其れは約43℃の源泉で、湯船はもう少し低い温度になるだろうか、また仕切られた湯船の場所により噴出量の違いで湯温が異なるとのことだが、長湯に適した温度で劣化していない湧きたての湯に満たされた湯船は、この世界にそう多くは無い。

四つの客棟

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 客室棟は造られた時代が各々違うのだが、何れも素直に普請しているように感じた。
客室を有する建物は、(本館・別館・薫山荘・法隆殿)の四棟、三十余りの客室を有する。共通点としては木造の在来工法を用い、真壁造の漆喰壁で、建材は出来る限り天然の物を使い、華美でなくやはり質実剛健という言葉が当てはまる。
そしてもう一つの特徴として印象に残ったのは外部の開口部の腰壁が低く抑えられているか、又は掃き出し間戸である事だ、安全確保の為、内手摺りを設けるが、外部と内部の隔たりを減らし自然との一体感を感じさせる為の良い手法だと思う。

 話は変わるが、法師温泉の昔の写真を見て、現在本館の東に平成元年に建て替えられた法隆殿があるが、建て替えられる以前の「旧法隆殿」が同じ場所に建っている写真を拝見したのだが、それは欄干を周囲に巡らす解放的な楼閣作りの木造二階建てで、大正時代の建築と見受けられるが、残っていたらどうだったのかはやはり気になる。。